川崎市岡本太郎美術館で「岡本太郎の絵画」展が開かれている。1970年大阪万博のシンボル「太陽の塔」の作者として知られ、最近では巨大壁画「明日の神話」の発見なども注目されたが、マルチな才能を発揮したアーティストの「原点」である絵画にスポットを当てた本展には、記念碑的作品が数多くそろっている。
「芸術は爆発だ」という名セリフや数々のパフォーマンスでお茶の間の人気者となった岡本(1911~96年)は、絵画、彫刻、陶芸、書、写真など多方面にわたって才能を発揮した。ただ「死ぬまで絵画は描いていた」と担当の仲野泰生学芸員はいう。会場には、13歳の時の「敗惨の歎き」(水彩)から70歳の「遭遇」(油彩)まで約150点が並び、全容を見ることができる。
中でも存在感を漂わせているのが「傷ましき腕」(油彩)だ。黒いひもで縛られた腕と赤い大きなリボンが大胆に描かれたシュールな作品で、代表作として有名だ。
岡本は、漫画家の岡本一平、小説家のかの子の長男として川崎市に生まれた。東京美術学校(現東京芸大)に入学しながら、わずか半年で退学。画家を目指し、1929年に両親とともに渡欧する。パリのギャラリーでピカソの「水差しと果物鉢」を見て抽象絵画に開眼した。抽象芸術運動に参加しながら、抽象表現に疑問を感じていた時代に制作したのが「傷ましき腕」だったという。
40年、戦争がパリに忍び寄ると作品を持って帰国。ところが当時、東京・青山にあった家が空襲で焼けて、この作品も灰燼(かいじん)に帰した。展示されているのは、関係者の勧めで49年に再び制作した絵画だ。
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岡本太郎さんは、一時期 テレビをつけるとよく出演されている時期がありました。
かわったおじさん・・・という印象が強かったのですが
日本人には珍しい特異な才能をお持ちになっている方だと後から知ってびっくりした記憶があります。
芸術家の方々というのは ひとつのことだけでなくどういう方面にも才能を発揮することができるのですね!
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